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2007.07.07 Saturday

日常性と非日常性

 「 演劇(演技)を学ぶ」というと、「とにかくオモロいことをができるようにする」または、「人ができないような技を学ぶ」とか、なかには「人前で恥ずかしいことを堂々とできるような訓練をする」のようなイメージを持つ人がいそうです。ある大学の演劇同好会の話を聞いたら「どれだけ恥ずかしいことができるか自慢」みたいなことが本当にされていて、興味深いものがありました。
 もちろん、演劇では日常にありえないことを描く場合も多いので、非日常的な動きや仕草「そんなばかな!」というシチュエーションを、あたかも普通であるかのように演じきる技量が必要な場合もあります。あっと驚くアクロバティックな表現、かっこいいダンスや歌、血管が切れそうなテンション、燃え上がらんばかりの熱演、過激な性描写や、目をそむけたくなるようなお下劣な表現さえも演劇の魅力の一つといえます。刺激(「非日常」とここではくくってみます)を魅力と感じる10代、20代の若者がそうした方向に傾倒するのも納得できます。それも大切なことだと尊重しつつ、劇研アクターズラボでは学ぶべき基本をそうした非日常ではなく、日常性におきたいと考えています。そういうと、華やかなフィクションの世界から、急に地味で味けない日常に視点を下げた感じで興ざめの方もいらっしゃいましょう。しかし、私はその選択が、演技をする上でも、自分を磨く上でも、充実した日々を送る上でも、大げさにいうなら文化の体現者となるためにも、現実的で、実用的で、演劇を行う価値すら高めるものだと考えています。
 さて、演劇をはじめ、テレビ、映画、ゲーム、漫画などエンターテインメントには先にも述べましたが、非日常があふれています。人の興味を引いたり、刺激を与えたり、贅沢な気分にさせたり、高揚させたり、笑いを取ったり・・・そうしたことを成立させるためには日常ではありえないことや、信じられないリアクションや、予想以上のなにかをするのが常套なのでしょう。演技者としては、もちろんそれが求められればできることは大切です。ですが、まずそれ以前に日常を普通に生きる人間のありようや、自分自身のありようを見つめ、それを基準に演技を考えることがより大切だと考えています。人を感動させたり、共感を生んだり、長く人を引きつけ続ける作品の共通項は、そこに人間(人生、リアリティーと言い換えられるかもしれません)が感じられるからではないでしょうか。Showビジネスに人材を提供しようとする養成所でも日常的な演技を基本に据えているところが多いのは(私が知る限りですが)、Showビジネスでも同じだということだと思います。(この場合、あくまでもリアリズムの演技論がいいとかそうした技術のことが言いたいのではないのです)。登場人物がとても機械的で記号的な前衛劇や、はたまた派手なアクションを売りにするエンターテインメント作品であっても、優れた作品(いわゆる普遍性をもって息長く再演が繰り返されるような作品)の深部にはやっぱり人間の生(人間の謎も含めて)が息づいていると思うのです。(*この場合儀式、儀礼的な芸能は除きます)ですから、まずは「人はどう生きているか」みたいな基本的なことを大切にしたいし、そもそも基本とは何かを考える際に日常とかけ離れた何かではなく、日常にあることを大切にしたいと思っているのです。
 話はそれますが、お能の稽古の際に「お能にあることはすべて日常にある、日常にないことはお能には無い」ということを聞きました。私にはお能はすべて非日常に見えていましたので、それは腑に落ちないことでした。日常ではあんなにゆっくり動かないし、低い声でうならないし、幽霊がでてくることもない。まさに文化財のごとく昔のものがそのまま保存されてきた、そのように思っていたのです。ところが、お稽古をするうちに、すこしその謎が解けたように感じたのです。お能は室町時代以来、実はだいぶ変化をとげて現在に至っています。猿楽(さるがく)と呼ばれた初期のお能には、アクロバットの要素があったとききます。想像するに現在よりエンターテインメント色が強く、観客(知識のない大衆)にも見やすかったに違いありません。それがなぜ現在のような形になったかは、これも想像するに、武家等の庇護を受ける為に、多様な要素(禅の思想や、茶道や武道に通じる考え方)を取り入れたからではないでしょうか。つまり、初期には「みせもの」の要素がほとんどその主体であったものが、その後のいろいろな環境変化の中で、茶道や武道の影響を受け、芸術的、文化的な厚みを増し現在の形になったのです。その厚みとは、例えばそれを学び、たしなむという面においても価値を持つということです。それは今で言う「習いごと」というよりはもっと重いものだと考えられます。つまり「〜道(どう)」という考え方に共通するように、生き様(ライフスタイル)の提案がそこではなされていて、その稽古を通じてそうした生き方の実践がなされるようにできているのです。
 お能の日常性について話を戻すと、和服を着てお稽古をしてみてわかったことですが、上半身を固定させるお能独特の身体性は、和服の着崩れを防ぐ為だと思います。後見人が細かに演者の服の乱れを直すのは、後見人が演技中に後ろで動くことよりも、演技者の服がきちんとしていることが大事な価値基準だからに他ありません。西洋化が進んだ現代生活では着くずれを気にする感覚が、昔のそれと違う気がします。私も洋服で育った一人ですので、和服の着くずれを気にする感覚がリアル(日常的なもの)ではありません。それよりも、テレビや映画など映像文化に慣れた私にとっては、演技者の後ろでなにするともなく座っている後見人の仕草が気になってしまいます。何をいっているのかよくわからない言葉と単調な音楽にすぐさま眠気が襲ってきます。現代の日常性を背負って「エンターテインメント」の感覚でお能を見ればそうなるのはしかたないことなのかもしれません。もし私が、日本家屋で和服を着て生活し、茶道や華道などをたしなむ生活をしていたら、それらはもう少しリアルなものでしょう。洋服に比べ乱れやすい和服をきちんと着ることを美徳とする日常に暮らしていたら、舞台上の役者の服のささいな乱れもきっと大いに気になる所でしょうし、すり足という能独特の歩行法にしても、武道をたしなみ、建物の中をどたどたと歩かない生活していた過去の日本人にとっては、それほど日常と離れた動きではなかったはずです。お能は江戸時代の日常生活(武家のものでしょうが)に根ざして、それをより豊かにする為の総合芸術行為と考えられます。昔と今の生活習慣の差を理解し、同時にお能に込められた価値観や感覚を理解しようとしたら、その日常性が少し腑に落ちたのです。そして、その中に今の生活にも息づく価値観や考え方を感じることもできたのです。
 さて、現代演劇は主に見せ物(Show)としての切り口で語られています。舞台芸術の価値が「上演作品そのもの」への分析や批評、価値評価のみで計られることが主流です。お能の日常性について考えを巡らせていると、私にはお能の豊かさが見えてきました。「作品」という「点」ではなく、永続する行為(人生や生活になぞらえているのかもしれません)すなわち「線」としてそれが存在することの厚みです。同時にShowとしての切り口のみから、現代舞台芸術を判断することがはたして適切なことなのかとも考え始めました。映像全盛の時代中で、だれでも気軽に世界中に情報を発信できる時代に、同じような土俵で「作品」そのものを競うよりも、舞台芸術の特徴である身体性に重きを置くならば、「行為としての価値」をもう一度見直してもいいのではないかと考えたのです。お能の考え方で私が共感するのは、「(あたりまえの)日常を豊かにする」という視点です。(これは茶道や禅の影響なのかもしれませんが)芸術とは本来生活を豊かにするもののはずです。そこには、豊かな生活とななにか?ということも含めて、もちろん、いろいろな思想や哲学が存在してしかるべきですが、作品のみならず「その作品を作り上演する行為(過程)そのもの」がそうした思想を身体化する行為と考えるならば、作品の優劣同様、優れた「過程」だけが自然と淘汰される気がします。「作品で人を楽しませる」という一点から演劇も映画もテレビも同じように切られて、しかも同じようなものがあふれかえっていて、「それは本当に生活を豊かにしているのか?」と考えてしまう昨今、我が国の伝統芸能には、あたりまえの日常を豊かにする意義のある要素(特に思想に裏付けされた行為としての要素)が息づいています。こうした価値をあらためて見つめてみることが、(それが失われつつある)今こそ大切になってきていると私は考えているのです。
 もちろん現代劇でも、優れた作品を創作し続けている劇団の俳優さんの身体には、深い思想や哲学、生き様のようなものが活きていると想像します。そうした人達の長年にわたる永続的な作業を通じてその身体におちた「何か」を見つめ、演技教育の中から細かくその内的な作業を解き明かしてゆくことが、演劇を豊かにするのみならず、現代生活をも豊かにする(できる)可能性を持っているように感じるのです。

取り留めない文章になってしまいましたが、いいたいことは伝わったでしょうか?
(杉山)
コメント
管理者の承認待ちコメントです。
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  • 2007.08.25 Saturday 05:45
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