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2007.03.10 Saturday

古典芸能の役者(若手能楽師)の稽古観           金剛流能楽師 宇高竜成

僕は現在、京都を中心として金剛流の若手能楽師として芸能活動をしているのですが、舞台に立って20余年、様々な事を思い巡らしながら、日々を生活しています。日頃考えている内容を書く事で、皆様に何かしらを感じて頂ければ幸いに存じます。
さて、能楽で「稽古」というのは、「本番の為の稽古」というより、「日常の稽古」という意味だと私は考えます。能楽は他の演劇と同じく、身体、技術、精神(人間誰もが持つもの)を使って舞台に立つわけですが、演じる戯曲は既に一定数あり、「型」も様式化されています。ですので、能の戯曲全曲がその根底でつながっていて、一曲を掘り下げて稽古する事と、全曲を演じ分ける稽古との二つを行っていきます。その為に身体・技術・精神のバランス、コントロールが必要になってきますが、これはもはや日常という長い時間を掛けて、それらを統率した「能楽師の身体」というものを作り上げる他に道はないのです。
僕は「能楽師の身体」を日常化する為に、毎日稽古をします。常に能楽の事を考えてヒントを探しながら生活しています。能楽師に限らず、舞台に立つ役者には自らを(または目の前の舞台や役者を)客観視する「俯瞰の視点」と、「役者の身体(身体+技術+精神がバランスよく、コントロールできる状態)」が必要になってくるのだと思います。

「俯瞰の視点」とは能楽においては世阿弥が「離見の見(りけんのけん)」という言葉を用いています。自分を外から見る視点を持つことで、観客に写る自分の姿を見るという事ですが、まずそのような超人的な視点を身に着ける事は、不可能だと思います。重要なことは「観客から見える自分を意識するという」初歩的な意識だと思います。何度も同じ型を繰り返し練習し、師匠(自分以外の役者)にどのように見えているかアドバイスを受けたり、ビデオに自分の姿を写したり、または自分の弟子に芸を教えて、弟子を見て自分のクセを見つける…等、方法は様々あります。最終的には客観的な自分の姿を意識する事から、他の役者の姿を自分の様に意識して、「芸を盗む」というところまで、自分の目を研ぎ澄ませていきます。
「役者の身体」も「俯瞰の視点」も日常という長い時間を掛けて身につけるもので、しかも一度身についたからと言って、反復し続けなければ失ってしまうものです。また、どこまでも飽くなき探求を続けないと一定値を維持する事も難しいでしょう。結局自分が舞台に立つという事は、人生の大半を舞台に注ぎ込まないといけないという「一生稽古」という考えに辿り着きます。
舞台に対しての不安を全て消し去ってくれるのは「稽古」しかありません。「どうしたら自分は(近道して)良い役者になれるか」という疑問も、毎日積み重ねられた稽古の中でしか答えを出す事が出来ません。しかし、裏を返せば、稽古を日常化する事で、誰にも取り返すことのできない「積み重ね」を得る事ができるのです。与えられた課題をこなした後に、自分がどれだけ自分の見えていない部分を探せるか、日常で見つける事が「稽古」なのだと思います。
コメント
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  • 2009.05.19 Tuesday 15:28
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  • 2007.08.14 Tuesday 00:14
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