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2006.10.30 Monday

雲をつかむような、俳優の・・・。 / 講師 内田淳子

 必ず受講生に紹介する、斎藤秀雄氏の言。「教育に出来るのは、学生の『注意力』を喚起することだけ。結果は足し算ではなく、かけ算で出る。学生の素質が10あって、努力が10あると、100が出る。しかし注意力が0だと答えは0しか出ない。」
 音楽家だけでなく俳優も同じだと思う。
音楽家と違う点は、俳優の場合「俳優になりたい!」と思った瞬間に、もうその人は俳優である、ということだろう。俳優なんかに興味を持つこと自体、その人の素質かもしれない。そして、俳優に興味を持てば勝手に努力もするだろう。しかし、俳優になることと俳優を続けることは当然違う。俳優を続けられるかということは、この「注意力」を持てているか、持ちたいと思うか、「注意力」に気づかないでいるかでおのずと道が分かれていくのではないだろうか。
 またまた斎藤氏の言。「ほんの少数の人がいけて、ほんの少数の人がわかる。」私も「わかりたい」ために、わたしなりにひたむきなつもりではいる。私が本気で俳優に興味を持ち始めたのは35歳少し前。それまでは流れに任せて舞台に出ていた。先ほどの話からすれば、私は「俳優になりたい!」とは特に思わないまま30歳を過ぎた。つまりそれまでの時間は、私は俳優ではないのに舞台に立っていた、ということになる。(不謹慎。ごめんなさい)
 当たり前だが、出会う人により自分が変化する。自分は俳優について何も知らない、ということを人に気付かされた。知らないから知りたくなってきた。俳優をしながら俳優を知りたいと思った。それが数年前。だから本当の意味での私の俳優歴は、これを読んでいる人より短いのかもしれない。
 当時の私は本当に何も知らなかった。知らないことを知った時から観客が怖くなった。緊張する。ということを知った。しかしどうすれば良いかわからなかった。客席が石ころだらけだと思えば落ち着くよ、なんて言われても落ち着かない。そして、私なりにどうすればよいかを初めて真剣に考えた。結果、三十三間堂に向かった。「客席の人達を千手観音の千体仏だと思おう!」。御堂に入り「これが客席だ!」と自分に言い聞かせ、ついでに「せりふ間違えませんように。」とお願いして帰った。真剣に考えたわりには、「客席が石ころ・・・」とさして変らぬ発想だった。(今にして思えば、仏様にも大変失礼であった・・・。)「緊張してうまくいかない時、どうすれば?」と、今、質問されたら、もちろん「千手観音を見に行くといいよ。」とは答えない。今なら少しは現実的なことを言えるようになったつもりだが、とにかく私が言いたいのは、自分なりに何とかしようと、稚拙なりにも自分で考えて動き出せば、その時から何かが始まるということである。
 ある舞台で、どうしても何かがしっくりこない一語があり、必ずそこで稽古が止まった。演出家に指摘され自分でも体と言葉がうまくつながっていないと思っていた。家で食器を洗いながら、繰り返しその言葉をつぶやいていた時に思った。「舌だ」舌を使う音になった瞬間に感情以外の何かがまとわりつく。言葉そのものではなくそれを発する時の背後の「動機」が自分の体と合っていないのではないか。そこから私の悪いクセで、考えていることが横道に逸れていった。「舌って、何だろう?」子供はまさかほんとに「オギャー」とは泣かない。「ギャ」なんて複雑な舌の動きを赤ん坊がしたら怖いくらいだ。「あー」「うー」から始まり、舌という道具を使えるようになり、そして他人と関わりながら嘘を喋ることを覚える。舌を使わない声なら、感情やその時の自分の状態と一体であるのに・・・。英語では母音は感情、子音は理性の音なのだそうだ。そんなことも知らないの?本でも読めば数行で書いてあるよ。と指摘されるだろう。私なりに体感して見つけるのに38年経っていた。
 特に演劇に興味もなく長い時間を送ってきたが、振返ってみると、それでもいつも「芝居なんて毎日毎日邪魔くさいけど、どうせなら舞台にはこの現実とは違う時間が流れていてほしい。」と、漠然とどこかで思っていた。「本当に」そんな時間が流れていてほしい、本気で思う。そんな空間に、今は俳優としても、客としてでも居合わせたい。
 現実に流れてる時間て、どんなんだっけ?デジタル時計を見続けてみた。突然、数字が変る。ドキッとする。次第に恐怖感が生じる。数字が増えるごとに、確かに世の中の全員が間違いなく死に向かっていることを、目から一気に全身で実感する。容赦ない。「いつか、あなたは死にますよ。規則ですから。」そんなデジタルな声が聞こえる恐怖。「キソクデスカラ」。死ぬことを恐れていたかと思えば、誕生日の数字をデジタル表示した瞬間に遭遇すると、嬉しくなる。「今日の私は絶好調かも!」。またまた次の瞬間はそんな自分のありかを疑う。おめでたい、幼稚な、ふしだらな、よくわからない自分に戸惑う。自分の頭でわかっているつもりの自分は、ごく一部だ。わかっているのは、「人は変化している」ということのみ。「さっきと同じ」はありえない人間が、毎回毎回、同じセリフを喋る仕事。こんな窮屈なことをなぜ続けるのか?
 俳優を続ける、って、私にとって何?誰しも経験していることだろうが、本当にたまに、舞台において、または稽古の中で、頭が考えたわけでも、体が感じたわけでもなく、何かの力が作用して「こうなった」一瞬がある。その瞬間の自分は、1分=60秒の瞬間を過ごしているような肉体ではないような気がする。それって何?やっぱり今日も死なずにすんだ、ということにしておきたい自分とぶつかる。
 2006年10月に思ったことはここまで。
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