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2006.09.29 Friday

演技について / 講師 細見佳代

 演技ということを考えた時、これまでの経験の中で最も印象深いものとして思い起こされるのは、プロの俳優の演技ではなく、十数年前に出会った一人のお婆さんの姿です。
彼女はアルバイト先の店主の母親で、私がバイトに行く度に人生の三つの思い出話を繰り返し語って聞かせました。その内容は戦争で死んだと思っていた伴侶が突然戻ってきたときのこと、些細な失敗を娘夫婦に責められたときのことなど、同世代の女性なら誰しも経験があるのではと思われるようなものでした。毎回同じ思い出話を聞かされ、私は半ばうんざりしていたのですが、それでも彼女の語る身体からは決して目を離すことはできませんでした。
それは同じ話にもかかわらず、語りが始まると、彼女の身体はいつも一回ごとに強い切実さと緊迫感をもって私に迫ってきたからです。彼女は俳優ではないので、勿論演技の訓練など受けていませんが、おそらくこの先いつ死ぬかもしれないと感じていた彼女が私という聞き手に「ぜひ自分の人生を伝えておきたい」という強い欲望をもっていたこと、またその欲望が額に刻まれた皺や息遣いなどの身体の表情と一体となっていたことが、表現としての強い印象を残したのだと思います。
 
 俳優にとって、このお婆さんのように毎回強い欲望をもって舞台上で自由に表現をすることはとても難しいことです。なぜなら舞台には観客という存在があり、観客というのは演技に判定を下す、顔の見えない他人の群れだからです。そういう人々に一定時間見つめられ続けるという異様な緊張感に耐えて、俳優が舞台で自由に表現するためには、意識的に何らかの精神的、肉体的な<構え>をとることが、どうしても必要になってきます。世間には様々な演技訓練法があり、中には「リラックスしろ」「力を入れろ」、「考えろ」「考えるな」、「役になりきれ」「役になりきるな」などと矛盾することを言っているようにみえるものもありますが、そうしたものはつまるところ、俳優が置かれる過酷な状況に対抗して表現を行っていくための作戦として、色々な人が工夫をこらして編み出してきた産物なのだと思います。しかし、こうした作戦をもった上で、俳優がどのように舞台に立つかは結局俳優自身の問題になります。演技の指導者や演出家はヒントを与えてはくれますが、最終的にどのような舞台での居方を選ぶのかは俳優の責任であり、その選択の仕方に、その俳優の人となりや生き方が表れてきます。そして観客にはそうした俳優自身の状態が、演技の技術以上によく見えているのです。

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細見佳代(ほぞみかよ)
俳優/立命館大学卒業後前進座付属俳優養成所を経て、(財)静岡県舞台芸術センター演技部に所属。退団後京都造形芸術大学大学院芸術研究科修士課程に進学。修士論文『演劇における身体の在り方の考察』で専攻長賞を受賞。現在京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科非常勤講師。
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