2010.09.20 Monday
研究生
劇研アクターズラボではこの度「研究生」を求めることになりました。
先日、何の予告もなしに募集を開始したので、「なにそれ?」という方も少なからずおられると思います。そこで、その趣旨について補足をしたいと思います。
「研究生」とは、いわば新たな仕事を開拓するための講座です。だいぶ以前から「プロコース」の新設を予告して参りましたが、それにあたります。
研究生募集の概要にも書きましたが、「演技」や「演劇」が社会に果たせる役割はまだ開拓できると思っています。そして、教育分野、福祉や医療の分野においても、社会教育の分野においても、そして当然ながら、演劇そのものにおいても「演劇」がその技術を応用することで参画できる基盤整備は進もうとしています。本流である「作品創作」にしても、今話題の劇場法が成立すれば、今よりも多くの公的資金が劇場に流れ込むと言われています。つまり、「仕事」を開拓できる可能性は十分にあるのです。ところが、そうした社会ニーズに応えられる人材や、そうしたことを希望する人に情報が行き渡っているかというと、まだまだ足りていない状況です。
先日、何の予告もなしに募集を開始したので、「なにそれ?」という方も少なからずおられると思います。そこで、その趣旨について補足をしたいと思います。
「研究生」とは、いわば新たな仕事を開拓するための講座です。だいぶ以前から「プロコース」の新設を予告して参りましたが、それにあたります。
研究生募集の概要にも書きましたが、「演技」や「演劇」が社会に果たせる役割はまだ開拓できると思っています。そして、教育分野、福祉や医療の分野においても、社会教育の分野においても、そして当然ながら、演劇そのものにおいても「演劇」がその技術を応用することで参画できる基盤整備は進もうとしています。本流である「作品創作」にしても、今話題の劇場法が成立すれば、今よりも多くの公的資金が劇場に流れ込むと言われています。つまり、「仕事」を開拓できる可能性は十分にあるのです。ところが、そうした社会ニーズに応えられる人材や、そうしたことを希望する人に情報が行き渡っているかというと、まだまだ足りていない状況です。
2010.01.14 Thursday
役者の自立支援について その3 経済的自立への必要条件。
先日からのブログ『役者の自立支援」についての続きです。
ここ京都にあっては非常に困難で、かつ大きな問題である、現代演劇の役者にとっての経済的な自立について書いてみたいと思います。
まず、「経済的自立支援は必要」という仮定にたって、誰をどのように支援するかということを考えてみたいと思います。それが演劇に関係のない一般の人にとっても説得力を持ち得るのであれば、なるほど支援は必要だということになるし、そうでないならばあえて支援の必要ないということになるに違いありません。ということで、始めにその「対象となる誰か」を考え、それからその人達にどのような支援が必要か考えることにします。
ここ京都にあっては非常に困難で、かつ大きな問題である、現代演劇の役者にとっての経済的な自立について書いてみたいと思います。
まず、「経済的自立支援は必要」という仮定にたって、誰をどのように支援するかということを考えてみたいと思います。それが演劇に関係のない一般の人にとっても説得力を持ち得るのであれば、なるほど支援は必要だということになるし、そうでないならばあえて支援の必要ないということになるに違いありません。ということで、始めにその「対象となる誰か」を考え、それからその人達にどのような支援が必要か考えることにします。
2010.01.06 Wednesday
役者の自立支援について その2
さて、前のブログに書いたような専門家育成の目標にたって、さて、「専門家(プロ)」たるひとが、どう生計をたててゆくかを想像してみます。
2008.01.24 Thursday
ワークショップオーディションについて
劇研アクターズラボでは、役者の自立支援ということを大きな目的にしています。(詳しくは以前のブログをご覧下さい)
その具体的な方法の一つが、昨年の春から約半年おきに実施している、「ワークショップオーディション」です。オーディションというと、主催者が一方的に役者を選ぶという意味合いが強いのですが、このワークショップオーディションはあくまで、演出家と役者が対等の立場で出会うことを基本的な立ち位置としています。演出家が自分の求める役者さんをただ選ぶというだけではなく、ワークショップを通じて演出家がどういう作品を志向し、どのような創作をおこなってゆくのかを参加した役者は知ることができます。演出家が「この役者さんと一緒にやりたい。」と思っても役者さんのほうが、「合わない」と思えばお断りすることが可能な訳です。
このオーディションに来て頂く演出家はできるだけ優れた方をお呼びしたいと思っています。また、出演対象となる公演はできるだけ出演料が支払われる公演、もしくは複数箇所での上演が予定されていたり、賞の獲得や専門家が多く足を運ぶことが見込まれるなど公的な評価が期待される企画を対象にしたいと考えています。つまりそうした公演に参加することで、役者としてのキャリアアップにつなげたいということです。
ちなみに、このワークショップオーディションは劇研アクターズラボ受講生以外にも門を開いています。
その具体的な方法の一つが、昨年の春から約半年おきに実施している、「ワークショップオーディション」です。オーディションというと、主催者が一方的に役者を選ぶという意味合いが強いのですが、このワークショップオーディションはあくまで、演出家と役者が対等の立場で出会うことを基本的な立ち位置としています。演出家が自分の求める役者さんをただ選ぶというだけではなく、ワークショップを通じて演出家がどういう作品を志向し、どのような創作をおこなってゆくのかを参加した役者は知ることができます。演出家が「この役者さんと一緒にやりたい。」と思っても役者さんのほうが、「合わない」と思えばお断りすることが可能な訳です。
このオーディションに来て頂く演出家はできるだけ優れた方をお呼びしたいと思っています。また、出演対象となる公演はできるだけ出演料が支払われる公演、もしくは複数箇所での上演が予定されていたり、賞の獲得や専門家が多く足を運ぶことが見込まれるなど公的な評価が期待される企画を対象にしたいと考えています。つまりそうした公演に参加することで、役者としてのキャリアアップにつなげたいということです。
ちなみに、このワークショップオーディションは劇研アクターズラボ受講生以外にも門を開いています。
2007.07.07 Saturday
日常性と非日常性
「 演劇(演技)を学ぶ」というと、「とにかくオモロいことをができるようにする」または、「人ができないような技を学ぶ」とか、なかには「人前で恥ずかしいことを堂々とできるような訓練をする」のようなイメージを持つ人がいそうです。ある大学の演劇同好会の話を聞いたら「どれだけ恥ずかしいことができるか自慢」みたいなことが本当にされていて、興味深いものがありました。
もちろん、演劇では日常にありえないことを描く場合も多いので、非日常的な動きや仕草「そんなばかな!」というシチュエーションを、あたかも普通であるかのように演じきる技量が必要な場合もあります。あっと驚くアクロバティックな表現、かっこいいダンスや歌、血管が切れそうなテンション、燃え上がらんばかりの熱演、過激な性描写や、目をそむけたくなるようなお下劣な表現さえも演劇の魅力の一つといえます。刺激(「非日常」とここではくくってみます)を魅力と感じる10代、20代の若者がそうした方向に傾倒するのも納得できます。それも大切なことだと尊重しつつ、劇研アクターズラボでは学ぶべき基本をそうした非日常ではなく、日常性におきたいと考えています。そういうと、華やかなフィクションの世界から、急に地味で味けない日常に視点を下げた感じで興ざめの方もいらっしゃいましょう。しかし、私はその選択が、演技をする上でも、自分を磨く上でも、充実した日々を送る上でも、大げさにいうなら文化の体現者となるためにも、現実的で、実用的で、演劇を行う価値すら高めるものだと考えています。
もちろん、演劇では日常にありえないことを描く場合も多いので、非日常的な動きや仕草「そんなばかな!」というシチュエーションを、あたかも普通であるかのように演じきる技量が必要な場合もあります。あっと驚くアクロバティックな表現、かっこいいダンスや歌、血管が切れそうなテンション、燃え上がらんばかりの熱演、過激な性描写や、目をそむけたくなるようなお下劣な表現さえも演劇の魅力の一つといえます。刺激(「非日常」とここではくくってみます)を魅力と感じる10代、20代の若者がそうした方向に傾倒するのも納得できます。それも大切なことだと尊重しつつ、劇研アクターズラボでは学ぶべき基本をそうした非日常ではなく、日常性におきたいと考えています。そういうと、華やかなフィクションの世界から、急に地味で味けない日常に視点を下げた感じで興ざめの方もいらっしゃいましょう。しかし、私はその選択が、演技をする上でも、自分を磨く上でも、充実した日々を送る上でも、大げさにいうなら文化の体現者となるためにも、現実的で、実用的で、演劇を行う価値すら高めるものだと考えています。